力みのあるあそびと、ないあそび
何かを作るあそびをいくつかやり、その中で楽しくあそべたが”力んでいたもの”と”そうでないもの(リラックスしていたもの)”があった。
力みがあったもの
ラクガキはどこかでうまく描こうという意識があって力が入り、うまく描こうとして描いた絵はうまいかどうかで見てしまうところがある。石粉ねんどもイメージ通りに綺麗に成形出来るので、いいものを作ろうという意識で力が入っていた。
力むことなく、のびのびできたもの
何かを作ろうというわけでなく、粘土をこねるとか、ハリガネをくにゃくにゃしてるとか、その行為を楽しくやっているうちに何かができているような感じで力むところがない。
また例えばハリガネの場合、『ハリガネの造形はこうあるべき』というようなもの(模範解答)を知らないので、そういうものを目指したり意識することなく、のびのびと成形して、できたものをそのままおもしろがれている。
二つを比較してわかったこと
『こうあるべき』という模範解答を知らなければ、それを意識することなく作ることができて、できたものをそのままおもしろいと感じることができる(くぎ打ちのように)。一方、絵のように『こうあるべき』があると、うまくやろうとして力が入る。
道具を使いこなせば工業製品のよう精密なハリガネの成形やリアルな木彫ができるかもしれないけれど、手や緻密にできない道具や未熟な技術で加工したことで、精密さやリアルさから遠いところでの成形となり、粗さとかあそびの味わいを楽しむことができる。
一方で鉛筆ではある程度思い通りに描くことができ、例えば上手なデッサンみたいな絵を描こうとしてしまう。
石粉ねんどの場合はねんどの量を増やすことで、こねる行為自体を楽しめるようになり力まずに成形できた。ラクガキもそれ自体を楽しめる道具で描いてみると力まずにできるかもしれない。
ということで検証のため鉛筆ほど達者でなく、それ自体も楽しめそうな墨と筆でラクガキをやってみた。
やってみたこと
墨と筆と半紙を用意する。
墨をつけた筆をにょろにょろ描く。
丸を描く。
筆をはしらせる、滑らせる(ひとの輪郭のような感じがしてきて描く)。
ちょんちょん置くように描く(ほうきになる)。
人物やモノを描いてみる。
手を描くと毛を描きたくなって毛を描く。
毛を描いたらもしゃもしゃしたのを描きたくなって描く。
楽しめたこと
- 筆の描き心地
- 筆のかすれる感じ
- かすれた筆先で描ける線
- かすれた筆先で描ける絵
やってみてわかったこと
- 墨と筆の描き心地がいい
- 描くことを楽しめる
- 模範解答のような絵は描けない
- 力まない
ヌルっとしたりカサカサになる描き心地や、手先というより腕で描く書き味がおもしろい。
目的もなくにょろにょろ、ちょんちょんといろいろ描いていると、かすれた感じが気に入り、手を描いていたら毛を描いてみたくなり、毛を描いたら毛むくじゃらの何かを描いてみたくなったように、ひらめきがあった。
鉛筆のように思い通りに描けないのでうまく描こうと力むことはなく、筆に任せてニョロニョロやカサカサを楽しんで描き、描いた絵をおもしろがれた。
墨と筆でのラクガキは、まず描くこと自体を楽しむことができ、うまくは描けないのでうまく描いてやろう力むこともなく、工程もできた絵も楽しめることがわかった。
リラックスしてあそぶには、うまくできないくらいがよさそうだ。